こだわりからの離陸(71〜73) 1999年「宇宙の理」1月号〜3月号
(「予言」についてT〜V)

予言についてT

発売たちまち十万部突破  迫りくる「一九九九年七の月・・・・」今、ついに明かされた人類の未来!
ノストラダムスの大予言  最終回答編
一九九九年、恐怖の大王と最後の活路  
なぜ、人類は彼の〃警告〃に耳を貸さなかったのか・・?お問い合わせ殺到

 これは新聞で見たG氏著の本の広告コピーです。愈々一九九九年の世紀末が来るということで、年末から来年にかけては世紀末とか人類滅亡とか、人々の心を惑わせ心配させようとする意識の活動がさぞ激しくなることでしょう。特に来年の7月の前は騒がしいかも知れません。それに合わせて色々と予言を言う人も出て来て、その内のいくつかは当たったりするかも知れません。
 さてそのとき、このような情報や現実の事態に対して、私たちはどう対処すればいいのでしょうか。


現実は心が創る

 先ず、現実の創られ方を確りと認識したいものです。
 現実は心の反映です。決して秩序やルールを変えたところで、それが一時の対応になったにせよ、根本的な現実の変化はもたらせません。
 世紀末であろうがなかろうが、結果はすべて心の反映として現れます。
 そして私たちは何とかこの地球を光溢れる星にしようと心を洗い、多くの高次元の存在たちは、中々動かない私たちに対しても辛抱強く背後から支援し続けてくれているのです。
 心を洗っているのは、・・・・ 心を変えようとしているのは、・・・・ 心から出る波動を静寂で暖かな愛あるものにすることによって、心の反映である現実も愛の心の反映にしようとしているからなのです。
 世紀末的な予言が当たるということを前提にしてしまうと、私たちや神様の努力は一体何のためのものなのでしょうか。「洗心をしようが何をしようが未来は変わらない」「洗心した人も多数決の論理で不幸になる」ということなのでしょうか。心を洗うという私たちの努力は無駄となり、優良星界を創ろうという私たちの願いは初めから叶わないのでしょうか。
 否、そうではないのです。私たちの願いが叶うからこそ予言があるのです。私たちの願うような光溢れる地球にならないように、私たちの努力を潰すために予言は出されているのです。先ず、殆どの予言は邪悪な意識の存在によって発せられているという認識が必要です。
 この意識たちに騙されないためにも、自分の光を信じて光と共に自分の人生を送るという自己確立が大切です。そして私たちは今一度、確りと宣言したいものです。

私は私の現実を創っている。
私は他の影響を受けた現実は創らない。
たとえ私が他の所為で不幸にされたと見えても、それは私のエネルギーがその現実を引き付けたに過ぎないことを、私は知っている。
だから私は私の現実を決して人の所為にはしない。
私の現実はこれまでも私自身が創ってきたし、これからも私が創る。
私は未来に生きているのではない。私は〃今〃を生きている。私が今を生きる限り、私は予言には変化を期待しないし、依存もしない。
私には予言を超えて生きる叡智と勇気がある。
私の現実は私が創っていることを私の光は知っている。
私は私の光を信じている。


不安に導く意識


 ノストラダムスのメッセージが善霊からのものであるとすれば、この予言をG氏始め多くの人間が正しく解釈しているかと言えば甚だ疑わしいものです。
 何故ならば善霊は、自分が人類に発した警告が正しく理解された場合、結果として人の心を恐怖と不安に陥れる可能性があるのならば、そんな予言は決して出さないのです。
「自分の心が現実を創る(現実は心の反映)」という法則がある限り、善霊は恐怖の予言を出さないのです。恐怖の心が恐怖の現実を創ってしまうからです。

 この法則を邪な者達は利用しています。そして邪な者の画策に引っかかって彼らに加担している人間が多くいるのです。
 また、悪戯な予言は人の心の中心にある自分の光から意識を離そうとする行為です。人の心にはまだ恐怖心があり、それが光を塞いでいるので、心は恐怖を呼ぼうとする予言と波長を合わせてしまうのです。つまり邪な者は恐怖を煽り、外へ外へと人の意識を持っていかせようとするのです。これは宗教の邪霊たちの常套手段でもあります。
 予言の多くは邪な存在達からのものです。そして邪な存在達は来年から更にマスコミを利用して予言をアピールしていくことでしょう。人々の心を心配にさせ、不安に満たせ、御法度の心で地球を充満させようとするでしょう。益々ノストラダムスのメッセージは歪曲されるかも知れません。

 実際、今は非常にグッド・タイミングです。地球自身の浄化作用が高まり、地球のバイブレーションが急激に上昇しているので、地球と地球人とのバイブレーションが合わなくなって来ています。
 結果として新しい地球のバイブレーションと合わない地球人は、地球から去って行かざるを得ないでしょう。その過程として将来、多くの人が肉体を離れるという現象が、人々には悲しみと映ることとして起き、人を不安にさせるからです。
 すると人々はこう考え始めるかも知れません。「もうこの世は終わりかも知れない」「本当にハルマゲドンの予言に向かっている・・・・」と。そこが邪な者の狙いなのです。

 繰り返しますが、そういう風に考える人が多ければ多いほどに、実際に地球が崩壊するかのような現象の出現に拍車を掛けるのです。前述したように人の心が現実を創っているからです。これでは邪悪な者達の思う壷です。これでは人間が、当たりもしない予言の実現を支援することになってしまいます。
 もし、「どういう混乱がやってくるのか楽しみだ」と考えている人がいるとしたら、その人は混乱を更に大きくするエネルギーを蒔いていることになります。
 予言が実現することで地球が変化(昇格)するのを求め、予言に焦点を当てるのは止めましょう。予言に変化を依存するのは止めましょう。現実は予言が創るものではなく、私たちの地道な努力が創るのです。この現実社会は人類と天の努力によってまだしばらく続くでしょう。予言は外れるからです。


『麻薬の問題に焦点を絞ることほど、麻薬の取引を増大させるのに効果な方法はない。この原則は諸君が反対だと思うものすべてに当てはまる。あることに反対だと思えばそれを増大させるのである。』
『作戦本部としては、緊急時の作戦の概要を説明することは避けたい。諸君が緊急事態に意識を集中させれば、緊急事態が発生する可能性が増大する。』
『諸君が注意を向けるものは何であれ増大する。生態系と今出現しつつある文明のために、死のプロセスに注意を向けることをやめ、代わりに誕生のプロセスに注意を向けてもらいたい。誤った場所に注意を向ければ、旧世界の終焉のプロセスが長引き、必ずやってくることになっている喜びに満ちた未来の到来が遅れることになる』 (銀河カウンシル)


★★ こだわりからの離陸(72)2月号

予言についてU

予言が当たることを望む意識

 見えない世界に想いを馳せ、現実の世界に目をやると、世の中が何か大きな変化の時期にあることを察知するでしょう。いろいろの予言書が示唆する〃地球の崩壊〃もさもありなんと感じるでしょう。そして一部の人はこの星が自力で正常化するのを半ば諦め、こう考えるかも知れません。
「これは人間の手には負えない」「もう世界は崩壊するしかない」「否、そうなった方が良い」「自分のことだけ考えてきた人類にとってこれは自業自得だ」「もう面倒臭いから早く立て替えてくれェ〜」・・と予言に依存するのです。
 特に宗教の経験があり、教えを広げようと一心熱心に活動していた人は、何とか自分を解ってもらいたいという〃説得(=人をコントロールしようとする意識)〃という誤ったエネルギーを造り、身に付けてしまった場合が多いです。この説得の意識が強いと自分の思うように動かない人など「どうにでもなれ」と考え、自然と大きなドラマの起きるのを期待してしまいます。
 これは邪悪な者達の思う壷です。そう願う人が多ければ多いほど予言は実現します。まさかそう考えている学徒はいないでしょうが、思い当たる人は「学徒は思考による現象化のエネルギーが他と比べ強い」ことを忘れないで下さい。
 そうでないと平和を創る筈の学徒が予言の実現を支援することになります。特に高い波動をもって地球に降りた人は地球社会になじまないので、意志が弱いと耐えきれず、現実から逃避してしまうでしょう。


警告としての予言は恒久平和をもたらさない

 予言などを「神の警告」とか表現する場合があります。前回示した本の広告コピーにも「なぜ、人類は彼(ノストラダムス)の警告に耳を貸さなかったのか・・・・?」とあります。しかし警告から未来を心配して、私たちが終末から逃れようと動き出しても現実は変わらないのです。心が変わっていないからです。大切なのは、現実は人間の心が創っていて、心を変えないと現実も変わらないということを明確に理解することです。どんな予言もこの現実を超えることは出来ません。
 地球崩壊の予言は警告というよりも、人々に恐怖心を煽ることで破壊を創り出そうとしています。予言は恐怖心を食い物に自己現実を図ります。
 考えてみて下さい。恐怖心に呼び掛ける警告を出して一時的に現実を正常化させても、恐怖心は残るのです。その恐怖心を超越しないと現実は好転しないのです。
 だってそうでしょう・・・・

 恐怖のエネルギーが人の心にある限り、その恐怖を見せるために(自分の心を知ってもらうために)恐怖の現実がその人の現実の生活の中に創られるのが進化を前提とした宇宙の法則なのです。反映の法則、創造の法則なのです。これは裏返せば、恐怖心を超越した心の反映としてしか恐怖のない現実(平和)は創られない、ということなのです。だから邪な者は予言を出して恐怖のエネルギーを人の心の中に生産するのです。
 そして彼らは学徒の心にも潜入し、この原理から日々、学徒の心に〃心配心〃が生じるように企て、その心配心を反映創造させ、落胆させ、学徒の進路を阻むのです(これを心を強くするチャンスと観て負けないこと)。

 仮に肯定される予言があるのならば、それは恐怖心に向けたものではなく、またそれは無差別なものでもなく、愛をもって予言に対処し、矢鱈に公言などしない叡智ある存在に限り呼び掛けられたものでなければならない。


善霊は予言を出さない

 様々の奇跡を経験している人は、それが単に偶然というよりも、明らかに何者かの意志が介入していることを理解しているでしょう。共時性とか波長同調の原理では納得できない現象が起きているからです。
 この意志の関与に関しては、自分が大いなる意識の支援を受けていると分かると同時に、邪悪なる意識達も簡単に人の意志を操作することで自分や自分の知人に関与したりして、様々な現象を周囲に起こしていることを実感してきます。
 換言すれば、邪な者が人を通じて予言を出して、自らがその予言が当たるように人に働きかけることも可能となるのです。
 一方、善霊は逆に、邪な存在が人を使って出した予言が外れるように現実をもっていこうと努力するものです。予言の的中が更に人々の心を恐怖で満たし、混乱を増大させるからです。そういう意味からも、人々を不安に陥れる予言はすべて邪な存在達によって仕組まれたものなのです。善霊はそういう予言は公にはしません。
 ですから今後、実際に或る予言がとても見事に当たるようなことがあっても、その予言者の背後の存在には充分に注意して下さい。


混乱が起きても参加するか否かは自分次第


 私は世の中が混乱することはない、と言っているのではありません。地球の次元上昇は確実に起きるので、貨幣システムを始め多くの現行システムが崩れて行きます。
 また、多くの地球人が早く洗心をしない場合、彼らは地球以外のそれなりの波動をもった星に行くことになります。地球自身の浄化も含め、そのための仕組みが大きな混乱と見える現象として現実化するのは避けられないでしょう。
 でも、その仕組みが実現していく過程で、全員がそれを不幸として体験する必要はないのです。

 例えば、誰もが不幸と思える戦争中であってさえ、幸せだったという人だっていることでしよう。
 地震や津波が起きても、たまたま旅行中で命拾いをしたという人もいる訳です。
 私は営業の仕事をしていて、周りの人達は毎日予算達成に追われています。でも、私は殆ど他の営業部員とは離れて少人数で仕事をする場合が多く、そういうエネルギーは受けにくい環境にあります。又、余り予算のプレッシャーを受けない状況も頂いています。
 私のように少人数で仕事をするということは、出世したいとか、たくさんの部下を従えたいとか考えている人にしてみれば、一般的には嬉しいことではないのですが、私にとってはやりたいことがやってきても(少人数とはいえ、それなりの職制を頂いているので)自分一人で取り組みを決めて、好き勝手に計画し、前向きに進んで実行できるので至極快適です(自己確立には良い試練)。

 今後の社会も同じです。前述したように(予言してしまうようですが)確かにいつか、地球の変化は過去になく大規模なものとなるでしょう。
 しかしそれでも、同じ地球上の同じ環境の下でそれぞれが経験するべきことは明確に分かれて行きます。
「みんな同じ経験をしなければならない」「みんな同じ苦しみを味合わなければならない」ということはここでもないのです。

 変化の中の混乱に参加するのは混乱の体験が必要な人であり、混乱の体験の必要のない人は参加する必要もないのです。参加するしないは自分次第です。
 仮に光と繋がっている人が混乱に参加しても、混乱のエネルギーには支配されない状況となるでしょう。
 予言などには関心を寄せず、危機感も持たず、心を調整して、唯々自分の光と共に強く正しく明るく生きる(自己確立する)よう、お互いに頑張りましょう。


★★★ こだわりからの離陸(73)3月号

予言についてV


新しい地球は確実に近づいている


 今、犯罪の狂暴性や陰鬱性が高まり、その数も増えてきて、それだけを見ていると、この世の流れはどこまで行ってしまうのだろうなどと考えてしまいます。
 しかし一方、戦後を冷静に振り返れば、昔と違って世界は今、確実に平和になりました。
 かつて第二次大戦が終わったかと思えばそれと前後してドイツが分裂、朝鮮戦争が勃発しました。東西冷戦下でベトナム戦争やソ連のアフガン侵攻等へと戦争は広がりました。戦後の世界の紛争を振り返れば切りがありません。
 しかし冷戦は終わり、多くの戦争も治まり、カンボジアでは何百万人の殺害を指揮したとされるポルポトが肉体を離れました。平和会議は進まないものの、何度となく新聞の紙面のトップを賑わせていた中東危機の今はどうでしょうか。中南米諸島の紛争も今は静かです。マンデラ氏が大統領になった南アフリカはどうなるのかと思ったのですが、情勢は前より静かです。ここに来て米国がイラクに変な動きをみせたものの、比較的最近に起きた湾岸戦争とか、旧ユーゴの民族紛争もひと段落しました。もちろん世界にはまだ多くの紛争があるものの、総体的には世界は確実に平和になりました。 
 予言は外れてきています。世界の紛争は今、確実に減少しています。東西の冷戦終焉後の世界の紛争96件の内、なんと91件が国内間の紛争とのことです(昨年のNHKのテレビ番組による)。


新しい問題の傾向


 近年の人類の学びは世界全体の学びがなくなってきた一方、奇病や奇妙な事件やら深刻な問題が多岐化して出て来ています。これはみんなで同じ状況を経験するというよりも、問題の範囲が小さくなって学びが固有になって来たということです。一人ひとりが自分の心に焦点を絞って自分の問題を自分で解決する学びのときにいるのです。時代の流れは正に人類総自己確立のときなのです。
 但し、確かに今はそうでも、今後、人類の意識に大きな変化がないと、それだけ多くの人々が地球から去ることの現象が、それだけ広範囲で大規模なものとしてやって来るでしょう。それでも尚、その中での意識の経験と学びは一人ひとり違うということは変わらないのです。
 例えば今後、天変地異や民族間の大戦争があっても、その中で全員が苦痛や悲劇を経験するということはなく、苦痛を経験する必要のある人が苦痛を経験するのであり、苦痛を経験する必要のない人には苦痛の経験は仕組まれないのです。
 又、今後の混乱は古い地球の価値観を礎とした文明や文化、秩序といったものが崩壊する過程なので、古い地球の価値観やルールにこだわりをもっている人ほどこの過程を苦しみ、古い価値観を手放した人ほどそれを苦しみとは感じないでしょう。


  新しい問題の解き方


 新しい地球は自己確立が前提なので、地球が生まれ変わる過程で私たちが経験する事柄も、自己確立を促進するための事柄として仕組まれるでしょう。
 自分の問題と他人の問題が明確に分かれ、自己確立を意識しないと問題が解けなくなっていくでしょう。社会問題も今までの地球の常識では解けないこと、経験していないことが多くなります。答が歴史の中にはないのです。
 過去に執われず未来を憂慮せず、その時その瞬間において自分の光に照らして答を出して行かねば答は出ないのです。国家レベルでの自立も必要になります。他国と同じことをしていても問題は解決しなくなるでしよう。
 人の相談に乗る場合でもアドバイスを簡単に与えられなくなるでしょう。「人の問題には安易に回答を与えない」というのが人の自己確立をサポートする上での基本姿勢であるとかないとか言う以前に「他人の答は解らない(自分の問題は自分にしか解らない)」というのが現実となっていくでしょう。

『昨日は真実であったことが、明日は真実ではなくなるかも知れない。瞬間瞬間に何をすべきかについて、スピリットの指示を仰ぐようにしなければならない。スピリットに頼る(自分の内部に問う=筆者)ことこそが諸君の使命である。(作戦本部は諸君の外部の権威ある存在ではない。我々は内面的かつ外面的なサービス機関であるが、諸君が何か相談したい場合には、外部の権威者に頼ることのないように強く勧告しておきたい)諸君がどこにいるべきか、何をなすべきかといった問題について、諸君のスピリット以外の(内からの気付き以外の=筆者)何者も真実を伝えることは不可能である。
 霊的な自立(自己確立=筆者)こそ、意識の本質的な転換であり、作戦本部がこの惑星で実現しようとしていることである。霊的な自立はまた、諸君一人一人が個人的にこの惑星のために成しとげると同意した転換でもある。準備万端の姿勢を整えておくように、目を覚まし、耳を澄まして聞いて欲しい。今、スピリットの諸部隊が配置についているところである。』
「ET地球大作戦」(コスモテン発行)より

強く明るく心を正せば未来も変わる

 凶悪犯罪が増え社会問題も深刻になっている一方で、世の中の流れは世紀末的予言の言うような世界戦争とか地球崩壊の方向には進んでいません。
 この大事な時代に、警告的予言が恐怖心を誘発させながら広まると逆効果となり、新しい地球への流れを止めてしまいます。ですからノストラダムスの予言もその真意は恐怖心を煽ることでなく、

@「自分の心が自分の現実を創るので未来は決まっていない」
との前提があって、

A「この予言(というより流れ)も人類が強く明るく心を正せば地球の未来も明るく変わる」
というのが真意だと理解して欲しいと思います(この予言は外れることを前提に出されていると考える=筆者)。

 現実には@Aの理解が人類には乏しいので予言は実現すると信じてしまい、意識は即、〃恐怖〃に結びついてしまうのです。
 今、本当に大切なのは危機感を持って物事に対処することではありません。むしろ危機意識は恐怖心が元にあるので新しい地球の波長からは離れるのです。


 大切なのは余計な心配をしないひた向きな生き方です。例え世紀末的混乱の中にあってさえ、人が心を洗い光となれば、その人の実生活も光に包まれるのです。強く正しく明るく全てを宇宙に委ねて前を見て進むと、自分と宇宙と神様に宣言し、約束して下さい。そして「支援して下さい」とお願いして下さい。
「でも、約束通り出来なかったらどうしよう」などと神様への契約不履行を恐れないで下さい。その〃恐れ〃こそが禁物なのです。何度、約束を破ったって神様はあなたの成長を信じてあなたを許すことでしょう。既に何度も許されていませんか?
 結果は別にしても、宣言してお願いしてトライすれば、確実にエネルギーは流れるので、必ず成長に繋がっているのです。それよりも、ただ本を読んだり考え込んでいるだけで、勇気をもって動こうとしないことの方が、よっぽど神様は悲しいのです。
 そこには何の変化も成長も起きないし、何の奇跡も起こせないからです。

『我々は侵略しない。しかしながら、この作戦要員の一人が地球人として生きることによって地球人の地位を獲得し、次元を超えた干渉または援助を要請してきたときには、その要請に応えても宇宙の法則を破ることにはならない』(同右)
―求めよ、さらば与えられん!


『空中携挙』の予言について(追記)


 「空中携挙」とは、世紀末に地球が一時住めなくなるので、そのとき宇宙船が地球人を救うために大挙してやって来て、地球人を宇宙船に避難させるということです。そのときに何も知らない地球人を宇宙船に導く役割を果たすために地球に生まれたと信じている人々もいます。
「空中携挙」があるかどうかは今の私にはどうでもいいことですが、一つ言えることは、何も知らない地球人が誰構わず他人から救われるということなどあり得ないのです。特に今は自分が自分のメシアとなって自分を救えるかの審判のときなのです。
 精神世界というか、目に見えない世界で宇宙の法則を探っている人でも、本当に肝心要の真理、基本中の基本である「自分の現実は自分の心の反映として創られているので、洗心して自分の心を平和にすれば実生活も平和となって反映される」ということを正しく理解し、常に意識づけている人は本当に少ないです。

 それ故に世紀末と言われる今、この〃創造とは何か〃を知らない人々の意識は、悪戯な終末的予言に出会うと恐怖心と直結します。その結果「自分の内面を観る」ことはそっち退けで、そのときのために食料を貯蔵したり、安全な場所に避難しようと意識は働きます。

 心を正す以外に近道は一本もないのに、想いは内面を離れ「地震の来ない安全な場所はどこだ」「ノストラダムスの予言を一番正確に解釈している本はどの本だ」「宇宙船はいつ、どこに来るのだ」・・・・と、外の知識を追い求めて仮構の道を歩みます。挙げ句の果ては「あなたもそのときに備えた方がいいよ」と心配心を人に分けたりします。
 でもそんなことをしても助からない人は助からないのです。全然、本当に全く何の関係もないのです。それよりも心配心に波長を合わせていると、本来、本人が望む準備とは裏腹に却って新しい地球から去るための心の反映を準備していることになります。
 更に、たとえ〃創造とは何か〃を知っていても、「自分のことは自分でする」「自分の心も自分で洗う」「地球の平和も地球人が実現する」という〃自立とは何か〃となると理解者はもっと減ってしまいます。
 地球の次元上昇と共に地球人の集合意識がある日突然変わり、全人類が救われると信じている人もいますが、そういう安直なことも起こりませんし、洗心した人が救われないで予言書を追っかけて三次元の準備ばかりしていた人が救われる、ということも百%ありません。


 不公平は起きないので、この手の危機管理はしないことをお勧めします。
 洗心し神の心と繋がり、神の心のままに行動したか否か、唯それだけです。


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